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エスペラントの基礎知識

編著 木村護郎クリストフ(上智大学教授)

エスペラントって何ですか?

 ワルシャワ(現ポーランド)で眼科医をしていたラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof, 1859-1917)が中立公平で学びやすい国際語として1887年に発表した言語案がもとになっています。さまざまな人たちが学んで使っていくなかで、何気ないおしゃべりから趣味や専門の意見交換、さらには恋愛まで、また文学から論文まで幅広い分野で使われる言語に発展してきました。

なぜザメンホフはそのような言語を提案しようと思ったのですか?

 ザメンホフが生まれたビャウィストク(現ポーランド東部の町)は、当時はロシア帝国領であり、ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人、ドイツ人などが住んでいました。同じ町に住みながら、異なる言語を話し、対立している人々を見て、ザメンホフは心を痛め、どの民族のものでもない共通語の提案を思い立ったのです。

ザメンホフの肖像・La Unua Libro
左:ザメンホフの肖像 右:最初のエスペラント学習書「La Unua Libro」

「エスペラント」というのはどういう意味ですか?

 「希望する人」という意味です。ザメンホフのペンネームが、言語の名前として使われるようになりました。当初の名称は単に「リングヴォ・インテルナツィーア(lingvo internacia)」(国際語)でした。

エスペーロ   アント      エスペラント
espero(希望)+ anto(~する人)= esperanto 

どんな言語なのですか?

 学びやすいように、文法体系がわかりやすく整理された言語です。規則の例外や不規則変化などがないので、他の言語に比べて格段に早く上達することができます。一方で、慣用にとらわれない自由な表現が可能なので、学ぶほどに新しい可能性が見出される、奥が深い言語でもあります。

 単語を形成する要素である語根はほとんどがヨーロッパの言語をもとにしていますが、語根を組み合わせてさまざまな語彙(単語)をつくることができるのが特徴です。日本人にとっても学び使うためのハードルが英語などの他の言語よりはるかに低いといえます。

 言語の構造が明快なエスペラントを学ぶと、言語に対する感覚が研ぎ澄まされるため、他の言語を学ぶときにも役立ちます。

エスペラントを話す人は世界にどのくらいいるのですか?

 世界各地で学んだ人が自由に使っているので、正確な数はわかりませんが、学習者数やインターネットなどでの使用状況などからして、ある程度使える人は100万人ほどとされています。

どうやって使われているのですか?

 主に旅行や文化交流、またさまざまな趣味や関心を持つ人の相互交流などに使われています。また数千人規模の世界エスペラント大会(1965年と2007年は日本で開催)をはじめ、大小さまざまな催しが世界各地で開催されています。その一部は「エヴェンタ・セルヴォ(eventa servo)」(イベント・サービス)https://eventaservo.org/などのイベント案内で見ることができます。

 エスペラント語を使う人(エスぺランティストと呼んでいます)同士の「顔のみえる」つながりを象徴するシステムとして、「パスポルタ・セルヴォ(pasporta servo)」(パスポート・サービス)があります。これは世界に広がる、エスペラント使用者による宿泊提供のネットワークです。また、アプリ「アミクーム(amikumu)」(「友達になろう」という意味)を使ってどこにエスペラント話者がいるかを見つけて連絡をとることもできます。

国際共通語は英語ではないのですか?

 ことばが異なる人の間をつなぐ手段は一つだけではありません。特定の国や地域のことばではなく世界中に使用者が散在しているエスペラントの強みは、言語や文化、関心事などの違いをこえた交流を望む世界各地の人々をつなぐネットワークが発達していることです。共通の言語で結びつく地球規模の共同体(コミュニティ)ということもできます。

 そしてなにより、英語は、学ぶために相当な努力と時間とお金を費やしても、この言語を生まれながらに話す人にはなかなか及びません。それに対して、ことばの違う人たちが互いに歩みよれば、誰もが気兼ねすることなく気持ちよく話し合いに参加できます。エスペラントは、このような相互の思いやりに基づいたフェア(公正)なコミュニケーションを実践してきました。

エスペラント運動は何をめざしているのですか?

 エスペラントを使ったり広めたりする活動をエスペラント運動と呼んできました。国などの後ろ盾がないエスペラントは、学んだ人々が自発的に参加するエスペラント運動に支えられて、今日まで受け継がれてきました。エスペラント運動は、多様な言語や文化を大切にするとともに、異なる言語や文化の架け橋としてエスペラントの使用を推進することをめざしています。人々がことばの壁をのりこえてつながることで、地球に生きる同じ人間としての連帯感と友愛を深めることが、当初から変わらないエスペラント運動の目的です。

エスペラントはどこにあるのか

間宮緑(小説家)

エスペラントとの出会い

 僕がエスペラントに初めて出会ったのは子供のころ、宮沢賢治の小説を読んだときだった。エスペラントを学んでいた賢治は、物語の中の世界にエスペラントの単語をちりばめていた。国際共通語エスペラント、という言葉の響きはなぜか深く印象に残ったが、現在ではもう使われていないと思っていた。

 大人になって自分でも物語を書くようになったが、そのうちに、だんだん閉塞感に襲われだした。それをはっきりと感じたのは、ある文芸批評を読んだときだ。外国から日本に移住した作家が故郷を題材に小説を書いたが、批評には内容よりもその作家が外国人であることと、外国人が日本語で書いたということにばかり焦点が当てられていた。文学は無限に広大で、その広さの前では国境を築くことさえばかばかしくなるくらい自由であるはずなのに、自分がいる場所がまるで絶海の孤島のように感じられた。

 そんなとき、友人が「もっと広い世界への扉を開いてみたら」と、エスペラントの教科書と図書目録を譲ってくれた。初めは乗り気でなかったが、その図書目録の中に『アエリータ』という小説を見つけて急に気が変わった。そのロシアの小説は以前からとても読みたかったのだが日本語訳が見つからなかったのだ。すぐに書店で注文して、それを読むためにエスペラントを勉強し始めた。

アエリータ(エスペラント版)
アエリータ(エスペラント版)

ザメンホフが込めた願い

 28字のアルファベットと簡潔な文法を持ったエスペラントは、多言語話者であったザメンホフによって作られた。彼の故郷には複数の民族が暮らしていたが、人々の間には衝突が絶えなかった。彼は、言語の異なる人々の間でコミュニケーションが成立しにくいことが衝突の大きな原因だと考えた。そして、既存の言語でなく新たに創造した言語を共有することで皆が対等に話し合えるのではという着想を得た。

 彼はこの着想を単なる理念に終わらせず、実践的な国際共通語として1887年に最初の教科書を出版した。「実践的な」とここで強調するのは、もし彼が合理性のみを突き詰めた言語を作りたいと思っていたなら、既存の言語とは異質な、最小限の音節で最大限の意味を含むような機械的な言語を作っただろうからだ。しかし実際はその反対で、語根を様々な既存の言語から輸入し、例えば「影」を意味する名詞を当初の umbo から完成版では ombro と変えたように、単語に含まれる音の数を意図的に増やしてさえいる。その方が会話をするのに発音しやすく、また聞きとりやすいからだろう。母語を異にする人たちがなるべく簡単に習得でき、話せるようになる言語を発明すること。そして彼らが対等な立場でコミュニケーションすること。その実現は、民族間・国家間の衝突や戦争を憂慮する彼にとって、遠い未来のことではいけなかったのだろう。

 ザメンホフは1906年、第2回世界エスペラント大会での演説でこう話した。

「エスペラントを使う人、あるいはエスペラントのために働く人はすべて『エスペランティスト』です。すべてのエスペランティストは、エスペラントをただの簡潔な言語にすぎない、海上信号よりは精度は高いが国際的な意思疎通の道具にすぎない、と見なしてもよい十分な権利があります。(…)そのようなエスペランティストは、きっと私たちの大会に加わることはないでしょう。」

 そして、大会が「人類と人類愛の継続的な祝祭」になるようにと言葉を結んだ。ザメンホフがめざしたものは言語の創造そのものではなく、新たな言語によって人々が暴力でなく話し合いで揉め事を解決し、互いを分かり合おうと努める世界だったのだと思う。

エスペラントが開く扉

 エスペラントは特定の文化や思想に縛られてはいない。実際、話者の中には政治、宗教、あるいはエスペラント自体について異なる思想を持った人々が混在している。だが誰にとっても等しいのは、エスペラントは自ら望まない限り習得できない言語ということだ。エスペラントはどの国のどの地域からも使用を迫られることがない。そしてそのような言語をあえて自分の言葉として選択する人の胸中には、言語の垣根を越えて人々と対等に友好的に話したい、というザメンホフの願いに通じる思いがあるのではないだろうか。だからこそ国籍も言語も違う見知らぬ人どうしが集い、臆することなく Saluton! と言葉を交わせるのだろう。

 僕がエスペラントの勉強を始めた後で気がついたことが二つある。一つは、言語の学習に「あっという間に習得」みたいな魔法はないということ。もう一つは、世界エスペラント大会で様々な国から参加した人たちと話をして気づいた、エスペラントでの会話の楽しさだ。最初は本を読むために始めたエスペラントだったが、開いた扉の向こうには活字ではなく生きた人々がいた。意外にも、自分が話せるようになったことより、相手の話が聞けるようになったことの方が嬉しかった。エスペラントがなければ出会うことさえなかっただろう様々な国の人々が集い、打ち解けた気分で同じ時間を過ごす、そんな不思議な場所が今も地球上のあちこちで扉を開いている。

世界エスペラント大会にて談笑する筆者
世界エスペラント大会にて談笑する筆者

間宮緑

小説家。「牢獄詩人」(第22回早稲田文学新人賞)、『塔の中の女』(講談社)ほか「ひとりになる」(『本迷宮』所収)、「ちょっとそこまで」(『タビタビ』連載)など。翻訳 “Septembre, surstrate en Tokio” (ころから)。小説 Korespondado (Beletra Almanako)

エスペラントの創案者 ザメンホフ

ザメンホフの肖像画
ザメンホフの肖像画

 ポーランドの眼科医 ルドヴィーコ・ラザーロ・ザメンホフ(Ludoviko Lazaro Zamenhof, 1859-1917)は世界平和を願い、国際共通語エスペラント(Espearnto)を創案し、1887年に発表しました。

 ザメンホフというと、豊かなヒゲを生やし、優しい眼でほほえむ老紳士というイメージがありますが、彼がエスペラントを発表したのは1887年、27歳のときです。当時彼は、ワルシャワ大学医学部を卒業して、眼科の若き開業医でした。
 エスペラントは、青年ザメンホフが青春のすべてをささげてつくったことばでした。
 彼がエスペラントのような人工語を作ろうとし始めたのは13歳のころです。そして、1878年、高校(ギムナジウム)最終学年のとき、彼はエスペラントの原案をつくりあげます。

「民族と民族が敵する心よ、消えよ、失せよ、時は来たのだ。すべての人が家族のように心ひとつになる時が。」

 これは生まれたての言葉で、さっそくザメンホフがつくった詩です。
 その後ザメンホフは、この言語で、詩やエッセーを書いたり訳してみたりしながら、原案にさまざまな改良を加えていきます。
 第1原案ができてから9年間、机上の空論ではなく、実際に使える言語であることを自分自身で確かめた末に、ザメンホフは1887年に「国際語」の最初の教科書を自費出版します。40ページの小冊子でした。
 このときザメンホフは、著者として「エスペラント(希望する人)」というペンネームを使いました。彼が希望し、夢見たものは、何だったのでしょうか。
 ザメンホフが生まれたのはロシア領ポーランド。ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人、入植者のドイツ人などが混住する地で、彼自身はユダヤ人の語学教師の息子として、1859年に生まれました。
 ことばが違い、宗教が違う民族どうし、反目といさかいが日常茶飯事でした。「もっとお互いの理解と寛容があれば」と願ううちに、異なる民族を結ぶやさしい共通語をザメンホフは夢見るようになったのです。
 彼は、おのおのの民族の言語・宗教が最大限に尊重されなければならないと考えました。宗教について彼は、キリスト教の神も、ユダヤ教の神も、イスラム教の神も、実は1つの創造主であり、同じ絶対主に異なる仕方で祈りをささげているにすぎないと考えました。
 そして、個々の人間は、いずれかの国家・民族に属するものだという常識の枠をこえて、まず人類の一員であるべきだ、と考えました。これがホマラニスモ(人は人類の一員であるという考え方、「人類人主義」)という、彼の思想の根本です。

 エスペラントのために、
メンホフは、旧約聖書の全訳、アンデルセン童話集、ゴーゴリの「検察官」などの名訳を残します。これらは今でもエスペラントの模範となっています。
 ザメンホフは1917年にドイツ軍占領下のワルシャワで、心臓病で亡くなります。しかし、彼の「夢」は今日もまた世界のそこここで、輝くような出会いを創っているのです。

(日本エスペラント協会パンフレット「通い合う地球のことば 国際語エスペラント」p.15より)

重要な日付

  • 1859年12月15日:誕生。ポーランド(当時、帝政ロシア)のビヤウィストク市にて。
  • 1887年 7月26日:エスペラントを「国際語」という小冊子にて発表。この時の筆名がDoktoro Esperanto (直訳:希望する人)であり、後に言語自体がこの名前で呼ばれるようになった。また、この小冊子のことを、よく「第一書(La Unua Libro)」と呼ぶ。
  • 1917年 4月14日:死去。ポーランドのワルシャワにて。

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